山本清多さんインタビュー

「演劇のやり方はいっぱいあるんだぞ!」 
(ホモ・ルーデンス ユーリカ 2003年秋号より/*ユーリカ基金の前身)

劇団黒テント芸術監督(当時) 故山元清多  インタヴュアー 阿乃仁益男

阿乃仁 (劇団員の)Tさんなんかは、山元(以下ゲンさん)さんの作品は(佐藤 信さんと比較して)大衆路線だって言ってますけど、私は少し違うんじゃないかと…。
山元 僕が目指してるのは大衆劇なんですよ。要するに演劇っていうとヨーロッパなんかでは大人が楽しむ文化なんですよ。日本ぐらいなもんですよ、テレビなんかで有名になった人物をナマで見られる?っていう興味だけで若いのがワイワイ見に行く?劇団とか演出家だとかには全然思いを馳せていませんね。ところがヨーロッパではそうじゃない…。お芝居を楽しんでますよ。
阿乃仁 ほかに娯楽ってないんですか?例えばパチンコみたいな…。
山元 いやあることはあるんだと思いますよ。でも自分の楽しみは自分で持ってて、日本人みたいにゴルフっていうと社長から八百屋の親父にいたるまで、みんな横並びでやっちゃうというようなことはないですよ。そういう意味では向こうの人は頑固ですね。
阿乃仁 そうですよね、私の場合なんかでも「あなたのご趣味は何ですか?」と尋ねられて、「芝居です」といえるような状況じゃないですもんね。(笑う)
山元 楽しみは楽しみでいいと思うんですよ、でも少しづつ変わってきてますよ。…しかし日本の演劇は圧倒的に若い人に支えられていますね。
阿乃仁 今年に入って、浜松へお芝居を見にいってきたんですけど、一つは燐光群の『屋根裏』、もう一つは緒方拳さんのでている『ゴドーを待ちながら』ですけど、『ゴドーを待ちながら』の観客は私好み?の中年の女性が多かったのでいつもと全然雰囲気が違うんですね。そのワケを知人に尋ねると、「緒方 拳さんをみにきてるんだよ!」お芝居って、そういうもんじゃないような気がするんですけど…。
山元 いやぁ、どっちもお芝居だと思いますね。スターを立てるもよしですよ。でも、経済的にというか生計を立てていく上では、確かにそっちのほうが楽ですね。
阿乃仁 うーん去年、大阪で『肝っ玉』を見させていただいたんですけど、私の知っている限りでは、斉藤晴彦さん目当てに来てくれている人がけっこう多かったですよ。
山元 そうでもないですよ。劇団としての黒テントを見にきた人が基本的に多いと思いましたね。…テレビや映画で有名になった役者使って、客入ればそれでいいのかよという意見もありますがね。
阿乃仁 ゲンさんなんかはそういうの嫌なんでしょ?
山元 そうでもないですね、実際客に向かいあっているのは役者なんだから。僕が今回の台本はこういう趣旨で書きましたなんて、(舞台で)言えるわけないでしょ。(笑う)台本の面白さは役者を通じてしか分からないですよ。演劇が面白いというのは、そのとき演じていた役者が面白いということなんですね。
阿乃仁 私は最近感じるのは、役者さんが頑張っているのに台本がつまらないっていうことなんです。そうした場合、何故古典をやらないのかなぁということなんです。
山元 やればいいと思いますね。ただぁ、今何故その古典をやるのかという理由ですね。昔に呼吸していた面白さが今でも面白いという内容があるからでしょ。それは今のお芝居になるわけですね。しかしそういうのを発見するという意味ではオリジナルな台本を書くのと同じくらい苦労するわけですね。
阿乃仁 というのは私は若い頃からモリエールが好きで、最近二十歳くらいの子に読ませたら、やはり面白いというんですね、モリエールは日本人には受けないんでしょうか?
山元 いやぁー、どう言うんでしょ、…日本では喜劇は軽く見られる?コクがない?という風に思われちゃう、だからモリエールよりはもうちょっと深刻な、
阿乃仁 何をもって深刻というのか…、(両人笑う)
山元 (笑いながら)モリエールだって深刻な芝居書いてるんですよ…、
阿乃仁 ドン・ジュアンなんかがそうかな…、
山元 シェイクスピアの場合なんかは(悲劇と)両方あるからやり易いんですよね、多彩なんですよね。ところで、モリエールの面白さというのは当時のフランスの時代背景?ものの考え方?をそうとう勉強しなきゃ分からないですね、それを今の日本人にもっと分かりやすいように変える?…その、日本人の話にしたっていいわけでしょ、僕はね、ブレヒトやるときにまず単純にそう思ったんですよ。ぜんぶ日本に変えたわけですよ。そりゃもちろん無理がありますよ、「日本にそんな風習はありませんよ」と言われれば、「分かってますよ、あったことにしてください」と(笑う)、というくらい適当にやってるんですね。その適当さメチャクチャさを嫌う人たちがいて、学者なんですけど、シェイクスピアやモリエールのいい加減さは責めないで、僕らがやるとダメということになる。そのマッコウ臭さというのが今の演劇を面白くなくしているんだと思いますね。平気でパクリだってやってますよ、彼らも商売なんだから。(両人笑う)
阿乃仁 お芝居を見る態度が私なんかとは少し違うような…、 
山元 例えばモリエールなんかですと、フランスの歴史的に有名な作家ですというブランド?で見てしまうんですね。
阿乃仁 そういう見方をするのは、いわゆるインテリという人たち…。
山元 だってさぁ、髪を赤く染めてさ、鼻をくっつけたり、これはそのこと自体が喜劇ですよ、さすがに最近そんなことはしなくなりましたが…。芝居を見慣れている人たちのこんな芝居を僕の知合いのオヤジさんとかが見ると…、「なんや、あれ」と思われちゃう不安が僕にはあるんですよ。だから、日本人に分かりやすい芝居は嘘でもいいから、日本に置き換えた芝居じゃないかなと思うんですよ。それが初めの発想だったんですよね。…そういう意味であなたなんかに東京へ来て芝居をすることを敢えて言わないのは、その地域の人たちにとって本当に面白いお芝居とは何なのかということを発見してもらいたい、俺たちの芝居は東京とは違うんだぞって、主張してもらいたいんですね。
阿乃仁 そうですね、そういう意味では名古屋の劇団がどうして名古屋弁でやらないのか?観客と舞台の距離がずーっと近くなるはずなんですが…。
山元 そうなんですよ、名古屋弁でなきゃオカシんですよ。盛岡ではチェーホフの『結婚申込』という芝居をぜんぶ盛岡の設定に変えて、盛岡弁で「騙したかー」っていうのをやっていて、チェーホフなんか全然知らないオバさんたちが笑い転げてるんですよ。
・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・
阿乃仁 さっき『南の島に雪が降る』という映画について話が及びましたが、観客の側に飢えてないということを感じませんか?
山元 ゲームセンターとかカラオケとか一杯ありますね。しかしほんの少数だけど(笑う)、演劇を楽しんでる人たちがいますね。僕はね、最近まで小屋で講談や浪曲が聞けなくなったのをとても残念に思っていたんですよ。でもこれはこれで仕方のないことじゃないのかなぁって、思うようになりましたね。ところが、演劇は神代の昔からあるわけですよ、細々としてでも。そこんとこをもっと評価してもいいんじゃないかと思うんですよ。
阿乃仁 少し話しは変わるんですが、その細々として命をつないで来たというか(笑う)、お芝居にかかわってきた人の社会的地位というか、それは上がったんでしょうか?
山元 それは上がってるでしょ、だって昔は士農工商よりも下だったわけでしょ。河原乞食とか言われて…、
阿乃仁 でも実際食っていけないという意味では、今でも河原乞食と同じというか(笑う)
山元 最近若い人たちに言うんですけど、芝居のやり方っていうのは一杯あるんだぞって、例えば…、東京にこだわって「芝居が好きで好きで好きでしょうがない、アルバイトしながらでもやっていきたいんです、十年やってダメならやめます」と、これも一つのやり方ですよ。それから小さな地方の町に腰を据えて、昼間働いて夕方から芝居を作っていくっていうことを選んでいる人たちもいると。…これも一つのやり方だと、そのことを地方の人たちは自覚してないですね。どこか東京に心が向いてるんですね。ところがこの間盛岡へ行ったとき、ちゃんと生業を持っていて年に二回くらい公演やってて、この人たちは趣味でやっているってくらいしか思ってなかったんですけど、ここ何年もまえから「違うんじゃないか、もし俺が岩手日報のなんとか部長だったら、俺、今頃芝居なんかやっていないんだろうな」って思った。彼ら三十年やりつづけてるんですよ。それでね、「僕たちは本業があるからここまでやってこれたんですよ、ゲンさん」って言われればね、なるほど!
阿乃仁 それは私らからみれば当たり前なんです(笑う)
山元 …俺はそうは思っていなかったんだよ、俺はプロとして過酷な世界に生きていると思っていたのよ、で、も、これも一つのやり方だなぁって。演劇が生き延びていくためには、もっとも面白いんですよと。プロみたいな顔して食えない連中を包囲して、おまえら本業持てと…。
阿乃仁 オレ、言うことなくなってしもうた。まだまだお聞きしたいことはあるんですけど…、お忙しいなか、今日はありがとうございました。

          二〇〇三年八月 黒テント事務所にて収録